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日々のあと

小川さくら。1992- 別府市育ち、京都在住。生活と活動の記録・情報。

種子について ——「時」の海を泳ぐ稚魚のようにすらりとした柿の種

吉野弘


人や鳥や獣たちが
柿の実を食べ、種を捨てる
―これは、おそらく「時」の計らい

種子が、かりに味も香りも良い果肉のようであったなら
貪欲な「現在」の舌を喜ばせ
果肉と共に食いつくされるだろう。
「時」は、それを避け
種子には好ましい味をつけなかった。

固い種子ー
「現在」の評判や関心から無視され
それ故、流行に迎合する必要もなく
己を守り
「未来」への芽を
安全に内蔵している種子。

人間の歴史にも
同時代の味覚に合わない種子があって
明日をひっそり担っていることが多い。





何年前のことだか覚えていない。蒸し暑い日の深夜だったか、訃報を受けた。
数年間バンドを一緒にした友人の母親。大学時代に住んでいた部屋の大家さんでもあり、下で八百屋を夫婦で営んでいた。常に高い声で笑いながら喋っていた方で、冬にはよく焼き芋をくれた。
どうやってしらせを受けたのか、その時何を考えたか。思い出せない。確か、お通夜には行った。お葬式には行っていない。友人と何を話したか。覚えていない。

行き場のない感情が湧いてきて曲をつくった、その日の夜の断片だけが記憶にある。
ひとりきりで感情を処理して、しょうもない小さい夜だった。

最近、久々にその曲の録音を通勤中に聞き返して、これは完成させなくてはなー と漠然と考えていた。そうしたら、友人から何年かぶりに連絡がきた。結婚します、式来れる?と。
すぐ返事しなかったけれど、数日たって おばちゃんのことを思い出して行くことにした。
それから、あの日の夜の続きが来たかのように。詩を書き始めたらすぐできた。


吉野弘氏の「種子について」の詩を読んだのは昨年の5月。
何度も繰り返し読んで、自分のこじき袋にしまいこんでいた。
曲が完成した時、題名がしっくりこなくて またふ とあの詩を思い出し、読み返す。
題名をお借りして「種」にした。すぐ録音もしてみた。


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人もことばも、離れてしまえば 会っていたときの温度は下がって、記憶の片隅で眠っている。
時間の上を歩きながら、また会うのだろうか とその方向へ、自らは進まないくせに期待だけ、一人前にしている。はじめから分かれている道が、何かの拍子に繋がったに過ぎない。あっという間のできごと。

会っている時に、ことばをつかって「伝達」ができれば話は早いけれど、ことばに全ては託せない。その空間が含んだ匂いや景色、音などが作用してはじめて感情が揺れ動いて。記憶になる。
別れて、記憶を色々な角度から見て また新しい形が生まれていく。

曲は記憶の形だと、改めて思う。様々な他者の断片により成り立っている。
形になり、離れていたと思いこんでいたことが 未だに続いていたと気づく。それは自分の内面だけでなのかわからんが、時間をかけて始まりへ還り続けている。























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