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日々のあと

小川さくら。1992- 別府市育ち、京都在住。生活と活動の記録・情報。

"記録"カテゴリーの記事一覧

  • 9月のなか
    9半ば、週末は東京へ。

    ・秋の青い空。昼下がりに高円寺到着。コクテイルで斉藤さん橋本さんと練習。右側の扉から木漏れ日と、心地よい風。橋本さんが秋の気温に「寂しい」と言ってた。

    円盤で演奏。毎回私の失態を晒している。今回はピアノ。自分から落ちた地獄だった。滑稽。
    2人との練習⇨本番で曲がまとまっていく流れは、ただの褒美の時間。
    吉田さんの二胡の響きがじんわり胸に沁みわたった。向こう側が見えない大地の音色。

    夜。Spectatorの中の、ミツザワ通信の文章を読んだ。
    解ってはいるつもりだったけど、田口さんの明瞭で痛みをまとう文章を読むと 涙がほろろと溢れた。
    自分がなぜ、誰からも頼まれないのに必死に曲をつくるのかにも繋がること。極端に言うと、心が死んでいないか確かめるため。心が死んだら音楽づくりも終わる。円盤の4階の部屋で、つくりかけの曲を歌って詩を書いた。

    ・朝。小杉湯入って、久しぶりにコクテイルでカレー、味わって食べた。辛くない。斉藤さんが音楽をつけた映画、早く観てみてみたいなー。草野心平の詩集買う。

    午後、田口さんと三茶にあるフジヤマに行く。
    店主渡辺さんが日々をかけてくれ、緊張。「普遍的な、語り部のようなもの」と言っていた。
    田口さんと渡辺さんの、時間と他人の話/音楽と対個人の話。SNSを使っていた頃の自分も、そんなことを当たり前だと思ってやっていたなぁ と反省。
    インターネットで個人の情報を拾わなくなって、自然に話が出来るようになってきている。気がする。自然、というのは 「沈黙がある」ということでもある。無理に相手に合わせた話題を提示するでもなく、表面をさらっただけの知識を言うでもなく。疑問は疑問のまま、会話の中に居ることができる。他人同士なのだから、もつれるのは当たり前。それが自然。

    夕方。駅を走り回って北浦和居酒屋ちどり到着。
    演奏前に皆でキムラヤ行く。腰が低い(2つの意味で)店員さんが同じスピード、同じ口調、同じ対応。で忙しく動いている。すみません、ありがとうございます、を交互に口にして。
    中川祐貴さんがチェロで協演してくれる。初めてだけれど波に乗っていた、と思う。音が増幅して、歌に集中できた。のっぽのグーニーの体操のような、緻密で清々しい演奏に気持ちが踊る。


    東京へは、円盤の周りの人たちに会いに行っている。東京自体は、人の多さと、建物の構造の複雑さに気が遠くなる。


    ・今回の旅でギターケースの取っ手がとれ、抱えて歩く羽目になった。で、帰りの道中、雨で濡れる駅の構内。足が滑って膝をコンクリートで打った。後ろを歩いていた男性が「おーっ、とー」とだけ言って通り過ぎて行った。
    新幹線の中で段々膝が腫れていって、京都着いた時は歩くのままならず。近くの病院に駆け込みレントゲン
    撮ったら骨折はしてないけど靭帯やっているかも。とのこと。とりあえず安静に、と言われ湿布と痛み止めだけもらう。タクシー乗ってなんとか家に帰り着く。
    痛みは増すし、動けないし、誰にも頼れなくて、情けなくて泣けてくる。
    何年か前、腕に火傷負った時も痛みで眠れずに夜明けを待ったことを思い出す。あの時も1人だったわ。
    情けないなー。自分の不注意のせいなんだけど。とりあえず今回も夜明けを待つ。痛い。

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  • 7月のあと・8月のなか
    猛暑。へばる。日曜日の灼熱のお昼下がり、だーれも外歩いていないほど。
    最近の音楽とその周り。と、演奏予定。

    ♦︎円盤から、三ツ沢通信 夏号が届いていた。入っている連載物確かめていると、三村さんのポストカード目に止まる。三ツ沢墓地の絵と文章。繰り返し読む。
    大崎通信を読んで、「一旦離れる」ことを考える。
    時間や体力を有したものごとから離れるの、最初は痕がのこるくらい痛い。離れたあと、くっついていた背を後ろから眺める。全体像が見えること、と「所属していない」という安心感てのがあるんかもしれん。
    帰る場所と所属している場所ていうのは全然違う。

    ♦︎朝、支度しながらラジオでバロック時代のクラシック音楽を聴く、というか流し聞きする。習慣ができて2月くらい。
    ある月曜日。オルガン製作家の方がゲストの回があり 、そこで最後に流れたニコラウス・ブルーンス作曲のオルガン演奏。動いている手が止まり、心にやんわりと沁みた。横田さんと名のるその方、「14歳の頃に初めて触れた美しいオルガンの音色を追っている」ようなことを言っていた気がする。
    14歳。多感な頃の記憶を、音色が思い出させてくれる。


    ♦︎久しぶりにレコードを買った。クラシック。
    ・ベルク/ヴァイオリン協奏曲
    ストラヴィンスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ調
    イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)
    ボストン交響楽団の演奏。
    ストラヴィンスキー、はじめの甲高いヴァイオリンの音色が聞こえてきた時 一枚のハガキ/新藤兼人監督 をすぐに思い出した。最後の、乾いた畑を耕す印象的な場面のこと。
    そしてベルクの方、初めて聴くはずなのにまたなぜか親しい気持ちになる。なぜかといえば、戦後の日本映画を思い出すから という安易な答えしかない。
    ことばじゃなくて、音楽が場面を語ってくれていたんだなぁ、てことがよくわかる。


    ♦︎倉地久美夫/SOUND OF TURNING EARTH を買った。中に、倉地さんが描いたポストカード大の絵が入っていたので 玄関に飾ってみる。
    京都に越してきてから、すぐにまた引っ越すだろうという仮住まいの気持ちが強く 玄関を飾る気が起きなかった。倉地さんの絵は、人生の一編を見ているよう。繊細で柔らかな線と色彩。そこに何が隠れてあるのか 覗き見をするように、見る。今の自分の、小さな生活に徐々に馴染んでくれるだろうか。


    ♦︎8月のお盆休み、帰省に合わせて演奏を組んでいただいた。大分のアトホールの河村さんに。下の階の78さんにて、ネネカートもご一緒してくれるようです。
    9月10月も演奏予定が決まりつつある。つくれる内につくり、歌えるうちに歌っておくのだ。
    詳細はこちらで




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  • 7月のなか
    7月18日。ラジオから、梅雨最後の大雨 の知らせ。
    灰色の空と、熱がこもった湿った空気。

    初めての名古屋。中華料理屋があちこちにある。油でギトギトの看板と換気扇。裏口から聞こえる広東語。

    "サウンド喫茶"の看板掲げる店で小倉トースト食べる。天井から吊り下げられたどデカいスピーカーは使われてなく、ジャズのスタンダードぽいBGMが小さい音で流れる。


    雨に降られてから、きてみてや入る。畳の上で田口さんがギターを弾いて歌っていた。壁にしきつめられた春一番のポスター。加川良からの新年の挨拶文。高田渡の写真など。


    薄暗い照明の中で、YODO 畔柳さんの演奏を聴く。
    ご自身の表現を、できる限り適えよう、と探りながらやっているようにみえた。綺麗な旋律が、凹凸の道を慎重に歩いているような。畔柳さんの記憶と音楽との距離感に、とてつもない安心感を覚える。"正直"ってこういうことかな。


    自分の演奏でも、わりと気持ちと距離を置いて 演奏に集中できたのは、畔柳さんの演奏が直前にあったのが大きかった。周りに変な気を遣うことも、"上手"を意識することもあまりなく、集中して歌えた。曲の説明があって良いものか、未だにわかっていない。


    田口さんから、暖かい話を聞く。
    町を歩いていて、妙に気にしてしまう"今後"がある。なくなれば、忘れるの本当に一瞬。建物も人間も記憶も。仕方がないことばかりだが、田口さんの行動に "営む姿勢"は続けられるのだと、教わってばかりいる。そしてまた鏡に映る自分の生活と、次へ繋がる音楽づくり。"今後"を考える材料をもらう。

    畔柳さんは、YODOのMemories をつくった期間の話をしてくれた。誰かと音楽を共にする期間。何というか、陳腐な言葉だが やっぱり信頼が反映されるんじゃないか。その期間には心をバシャバシャと何度も洗われ 他人を強く信頼出来たりする。

    初対面でありながらイナハタさんのご自宅にお世話になる。至れり尽くせり。早朝に名古屋出て、そのまま仕事向かう。睡眠不足は大敵。

    帰りついて YODO/Memories 2年ぶりくらいに聴く。すっと心に水を注がれたような感覚になり、それからまた 曲をつくってみる。そのまま爆睡。




    陽が暮れるのと同時、暗がりと同化していく畑。翌朝、時期が来たのか 枯れた作物を見てメソメソしていると すぐに見知らぬ人がきて、新しい需要の種を蒔こうとしている。
    他所の畑は、どこまで踏み込んで良いものかわからない。自分の畑を豊作にする術も知らないのに、気にしている暇はないのかもしれないんだが。理想の畑にするために薬を多用したり、改良をしても なぜか虚ろな気分になる。天気に左右され、歪な形に、予想外に育つものなのかな、と。曲づくりもそんな感じ。
    で、今回気づいたのは、それは"放っておく"ってわけでなく 作物の声を聞いて、収穫まで地道な手入れを念入りにするということ。誰かに委ねるでなく 自分の身体を使って。
    働き生活すること。音楽をすること。の境界線を、少しずつ曖昧にする。両方とも、優劣を前提に置かなければ 出来ないことはないんでないか。他所の畑と自分の畑の境界線も、本当は曖昧だったりするのか。

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  • 帽子かけ
    梅雨入り前。寒さ戻る6月のなか。
    林光氏の自伝を読んでる。

    終戦の日のこと。
    ラジオから「あの人」のことばを聞いたあと、林氏と師匠である尾高尚忠は防空壕に避難させておいたスコアを、どちらが声をかけるでもなく日光にさらし始めた。「祭り」と表現された、尊いふたりの静かな行為。それを、電車の中で想像してみた。

    林氏がアルバイトでディナー・ミュージックの演奏をし始めたときのこと。以下文章抜粋。
    「ひろいダイニング・ルームのなかにいるすべての目が自分の一挙手一投足にだけ集中しているのじゃあないかしら、という自意識とがないがしろになり、ものすごい緊張で首すじが棒のようになったりした。
    何回かつづけるうちに、緊張がとれてきたのは、馴れたというより、そこで私がしていることはだれも見ていない、聴いてさえいない・・・、そもそも、だれもことさらに注目したり聞き耳を立てたりしないように音楽をやって、カネをもらうのが、私たちの仕事だというのがわかった、理解できた、からだ。
    私という存在は、そこで食事をしている人間にとっては、横に立っている給仕人と同じであり、給仕人の後ろに立っている帽子かけとも同じであるのだ。」

    「音楽家なんぞと呼んだり呼ばれたりしているものの、じつは帽子かけと人間とのあいだを行ったり来たりではないのかと、それ以来いまだに思いつづけていることの、はじまりが、そこだった。」
    林光/私の戦後音楽史 「帽子かけ」より


    「音楽家」や「芸術家」を名乗る人は、それがある場で、当たり前にその存在を"素晴らしい"と言い切る。他者は、自分が創り出したそれに、熱心に聞き入り、見入り、何かを感じているのだと言う。
    林光さんのこの一節は 「そう思って良いんだ」と素直に納得できて 少し心の荷が下りた。
    もちろん自分は音楽家とは呼べない素人ではあるけれど。
    私自身、ずっと音楽を神格化して、音楽をつくる人間でさえも尊い扱いをしていたような気がする。
    だから、「聴いていない」という選択肢はなかった。本当は、「聴いてる」方が日常の中では珍しいのかもしれない。

    す、と気が抜けて だが背筋は伸びて、電車の窓から河川を見渡す。裸の島のテーマソングと島の情景を思い返して頭がじんわり、暖かい熱を帯びるのを感じていた。
    勝手に日常の歌をつくって喜んでいる自分は、フーテンに近いのだから。変な自意識と格闘するより、そこにある音楽だよなぁ。その構造を理解して、きちんと聴くのが先。形を扱う。中身を見る。
    つくってる本人が、帽子かけの位置に立ち、傍観してるんじゃなぁ。



    最近の音楽。
    NHKFM/古楽の楽しみ を目覚まし代わりにしてる。
    クラシック聴く機会が少し増えた。
    ・Igor Stravinsky - L'Histoire du Soldat (The Soldier's Tale) for Trio (1918) 
    ・Athanasius Kircher -Antidotum Tarantulae

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  • 5月のあと・6月のなか
    6月はじめの休日。東京。
    円盤にて斉藤さん、橋本さんと演奏させていただく。雨の覚悟だったけれど、綺麗な晴れ間があらわれ涼しい風も吹いた。


    昼過ぎ、コクテイル書房貸していただいてお2人と練習。ぼやぁ、としているのに持ち込んだ新曲をまとめてくださった。斉藤さんはマンドリンとエレキを弾いていた。毎回違うことをしている方。
    ライブ、フォローされまくり終えた感。
    自分のことでいっぱいになって音をちゃんと拾えてないのも悔しい。他力本願か。ギターよ。張り合いたい。
    橋本さんに新しい曲、Lonnie Johnsonみたいと言われる。誰ですか、とは聞かずにへー、とか相づちうつ自分。あとで名前聞きなおして聴いてみた。

    ご一緒した山我静さんと田口さんのデュオ、夏の夜のばーちゃん家の音に近かった。今にも鈴虫と蛙が鳴きそうな。人の寝息がよく聞こえ、それら以外は聞こえない深い夜。

    翌朝。小杉湯に入ったあと喫茶店で珈琲飲みながら詩を書く。円盤の部屋に戻り、クラシックギターで書いた詩を曲にのせる。なんと贅沢な時間。
    同じ部屋に泊まっていたナガミさんと少し話していたら、最近買ったレコードにコーラスで参加してる方だった。

    午後。ju seiの田中さんにとある曲のコーラス録ってもらう。機械がうまいこと機能しなくて、田口さんが「ほんと世の中不便、、」と言う。田中さん「便利なはずなんだけどなー」。便利なはずなのになぜか効率が悪くなるふしぎ。

    円盤に行って周りの人たちの様子を見たり聞いたりすると、現在の自分の状況、輪郭が浮かび上がる。
    大勢が注目していることから離れ、勝手にやっても良いものでしょうか。そうこうしているうちに、どんどん周囲との歪みは大きくなりいずれ取り返しがつかなくなるのか。それに気づいた時の滑稽な自分も見ものだけど。
    東京から帰ると、パキッとやることが鮮明になる。そして1週間も経つとなんか忘れてんだ。間抜けな人間。



    ・市民税の納税通知書がきた。
    なんだろう、毎月の給与明細の税金やこんなのを見ると何かがグシャ、と潰れた感覚になる。稼いでる額に対してのこの金額。
    お金の舵取りが、自分で出来ていないなって 働き出してから思うようになった。
    困難な方が頭は冴えるけど。楽なほど、屍のようになっていく。自分で選ばないのは楽。他人に選ばせないのも楽。ボヤボヤしていたら、すぐに潰れる。

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