忍者ブログ

日々のあと

小川さくら。1992- 別府市育ち、京都在住。生活と活動の記録・情報。

"音源"カテゴリーの記事一覧

  • 図らずも
    左足の膝の骨にヒビが入った。


    仕事休んで、動けない身体に対してやさぐれる。
    病院で1日検査。MRI室。ヘッドホンからは小さなオルゴールの音、時々けたたましい警報のような音。を、ウトウトしながら聞く。
    待合室。看護師さんが忙しそうに動くのをぼー、と見たり、Spectatorのヒッピー特集を読んでヒッピーの概要と歴史を学んだり。
    仰々しいサポーターを巻き、歩いていると道行く人に見られる。通りすがりのおばあちゃん、
    「あらぁ、足!どうなされたの!」「ヒビ入っちゃって」「大変ねー」
    おばあちゃんも足もとおぼつかない。

    駅から家まで、家からコンビニまで。の道のりってこんなに長かったっけ。
    気力がわかず、東京からの荷ほどきもできておらず、散乱する部屋。
    しかしこういう時に、何か悔しくなっちゃって、それはそれで相応しい曲ができて、また歌う。とっても雑な録音する。つくり続けるしかない。この録音は簡易なので、物体にしなければ意味がない。



    図らずも



    まったく本当に何をやっているんだろーか。丁寧さも癒しもあんまりいらない、実感がある生活をしたい

    拍手[0回]

    PR
  • 種子について ——「時」の海を泳ぐ稚魚のようにすらりとした柿の種

    吉野弘


    人や鳥や獣たちが
    柿の実を食べ、種を捨てる
    ―これは、おそらく「時」の計らい

    種子が、かりに味も香りも良い果肉のようであったなら
    貪欲な「現在」の舌を喜ばせ
    果肉と共に食いつくされるだろう。
    「時」は、それを避け
    種子には好ましい味をつけなかった。

    固い種子ー
    「現在」の評判や関心から無視され
    それ故、流行に迎合する必要もなく
    己を守り
    「未来」への芽を
    安全に内蔵している種子。

    人間の歴史にも
    同時代の味覚に合わない種子があって
    明日をひっそり担っていることが多い。





    何年前のことだか覚えていない。蒸し暑い日の深夜だったか、訃報を受けた。
    数年間バンドを一緒にした友人の母親。大学時代に住んでいた部屋の大家さんでもあり、下で八百屋を夫婦で営んでいた。常に高い声で笑いながら喋っていた方で、冬にはよく焼き芋をくれた。
    どうやってしらせを受けたのか、その時何を考えたか。思い出せない。確か、お通夜には行った。お葬式には行っていない。友人と何を話したか。覚えていない。

    行き場のない感情が湧いてきて曲をつくった、その日の夜の断片だけが記憶にある。
    ひとりきりで感情を処理して、しょうもない小さい夜だった。

    最近、久々にその曲の録音を通勤中に聞き返して、これは完成させなくてはなー と漠然と考えていた。そうしたら、友人から何年かぶりに連絡がきた。結婚します、式来れる?と。
    すぐ返事しなかったけれど、数日たって おばちゃんのことを思い出して行くことにした。
    それから、あの日の夜の続きが来たかのように。詩を書き始めたらすぐできた。


    吉野弘氏の「種子について」の詩を読んだのは昨年の5月。
    何度も繰り返し読んで、自分のこじき袋にしまいこんでいた。
    曲が完成した時、題名がしっくりこなくて またふ とあの詩を思い出し、読み返す。
    題名をお借りして「種」にした。すぐ録音もしてみた。


    on SoundCloud





    人もことばも、離れてしまえば 会っていたときの温度は下がって、記憶の片隅で眠っている。
    時間の上を歩きながら、また会うのだろうか とその方向へ、自らは進まないくせに期待だけ、一人前にしている。はじめから分かれている道が、何かの拍子に繋がったに過ぎない。あっという間のできごと。

    会っている時に、ことばをつかって「伝達」ができれば話は早いけれど、ことばに全ては託せない。その空間が含んだ匂いや景色、音などが作用してはじめて感情が揺れ動いて。記憶になる。
    別れて、記憶を色々な角度から見て また新しい形が生まれていく。

    曲は記憶の形だと、改めて思う。様々な他者の断片により成り立っている。
    形になり、離れていたと思いこんでいたことが 未だに続いていたと気づく。それは自分の内面だけでなのかわからんが、時間をかけて始まりへ還り続けている。























    拍手[1回]

  • 日々/初春
    明けましておめでとうございます。
    2019年 1月、初めてのCDアルバムが円盤より発売されます。全10曲収録、詳細以下です。





    『日々』

    小川さくら
    作詞・曲/うた/コーラス

    斉藤友秋
    編曲/ギター/コーラス

    橋本悠
    コントラバス/コーラス

    香取光一郎
    ピアノ

    録音/編集:大城真
    装丁:三村京子
    制作:田口史人


    <収録曲>

    1.よほどの
    2.町をみおろす町
    3.仲 夏
    4.生活の糧
    5.皺
    6.告 白
    7.回 路
    8.夏 至
    9.春一番
    10.いせやん


    そして、ありがたいことに今月後半は斉藤さん・橋本さんと関西・関東ライブまわります。
    ann ihsaバンドの安田莉沙さんが声をかけてくれた所以で2人を関西に呼ぶことができ、各場所のお店の方々の協力のおかげでツアーになりました。念願です。

    小川の曲だけでなく、2人の曲を交換して演奏したりと段階踏んでいく中で 面白くなりそう。現場でしか聴けない音楽と、そこにいる人間しかわからない空間があると思います。聴きに来てみてください。

    日々 発売記念ライブ 詳細はこちら






    【日々】

    昨年2018年の7月、大城真さんの録音スタジオで、斉藤友秋さん・橋本悠さんと3人で録りました。ソファには円盤田口さん。そのあと、沖縄からきた香取光一郎さんにピアノを重ねていただきました。

    その前年の夏、大城さん宅を訪れ ひとり、弾き語りで一度試しに録音をしました。
    ですが、それまで部屋にひきこもり歌われていた曲たちは当然のごとく音楽として成り立っておらず、"おわり"を感じ 沈む私に田口さんは「躊躇したら曲がかわいそうだよ」と言った。
    その日の夕方 コクテイル書房を訪れ 初めて斉藤友秋さんにお会いしました。

    斉藤さんの編曲を聞かせてもらったとき、身動きのとれていなかった曲は 示しを与えられたかのように生き生きとしていて、それは初めてのひとり旅から帰ってきたような、知らない表情をしていました。
    それから東京へ隔月くらいで出向き、斉藤さんや橋本さんとのライブを重ね ようやく録ることができました。


    装丁の写真は録音後、大分の祖母の家で撮ったものです。昔話に出てくるような、「普段」をあくまでも静かに続ける老夫婦の日々。
    三村京子さんが丁寧に装丁を考えてくれました。



    「前から知っているような懐かしい匂い」を感じられるものを、信用しがちですが、 正体はわかりません。忘れまいと歌にしてきたような気もするが、その基盤をつくってくれた当たり前の生活の景色や、静かに息をする人々たちをおもえば自分の主張など小さい。

    曲が日の目に出られるように、根気よく付き合ってくれた方々にどうやって感謝すれば良いのか考えますが 結局は歌い続けることかと、そこへ戻ります。
    長い時間をかけてできた作品なので、出来るだけ長く息をして 色んな場所へ向かって欲しいと願う。そしてわしの未熟な歌の人生は、この作品に向かっていたのだとバカ真面目に思っております。
    日々、演奏者たちに支えられ 作品としても面白いと思います。
    じっくり聴いてください。宜しくお願いします。






    【初春】


    最低気温が1度あたりになると、手指が霜焼けで腫れて 関節も曲がらなくなる。薬を飲んで、朝湯船につかって塗り薬もベタベタぬって包帯を巻いている。たかが霜焼けと侮ることなかれ、仰々しい冬の習慣。
    京都の冬も4度目。相変わらず冷たい。

    昨年買ったアルゼンチン・タンゴの傑作集のようなLP。の中に、Edmund Riveroという方が唄う Yira Yira(エンリケ・サントス・ディセポロ 1930作)があって 聴いたとたん惚れこみ何度も聴いていた。
    で、そういえば阿保郁夫さんのLPにも同じ曲があったなと思い 訳詩を読む。「人生はうるさい女だから」と始まり、担架をきるように連なる世への不信の言葉に胸が詰まった。
    1910-30年代の名歌手Carlos Gardelや 藤沢嵐子さんの歌唱も聴いてみる。嵐子さんが64年にミゲル・カロとオルケスタ・ティピカの演奏で唄っているLPを何度も繰り返すが 固唾を飲んでしまう迫力。
    タンゴのことまだまだ知らないけれど、演奏によって曲の性格が変わるのを痛感する。本来、その方が自然なことなんだろうが。
    こんなに暗い詩が、表情に抑揚をつけて生き生きとできるのだから本当に面白いなぁと思う。

    どうしてこんなにこの曲のことが気になるのかな、と思っていた。
    "Yira"(直訳でぐるぐるまわる)というのはスペイン語で娼婦を指す言葉というのを見かけたとき、朝鮮訛りでうたわれる満鉄小唄を思い出す。


    言葉では心の琴線にふれることのない“なにか ”を歌が現すとき、 その力は普段の生活に響いてしまうくらい大きい。
    身近に潜む疑問、愚問?に気づく 同じような心があることを示されているかのような。人はみなそれぞれ違うから分かり合えないとはいうけれど、案外太い幹の先の根っこで繋がっていることがある。


    不自然な成り行きの向こうに、自分の歌える音楽はないな、と思う。
    昨年は、そういうことを 円盤のレコード寄席や アルバムづくりで出逢った人達を通して何度も感じたし、他人と関わるほどに、自分の未熟さを痛感しました。

    未熟な私に歌う機会があること、当たり前ではないので 引き続き良い歌が歌えるよう 日々の生活の中で模索していきます。




    今年も、宜しくお願いします。

    2019年1月 小川さくら

    拍手[0回]

  • 8月の季録
    酷暑。炎天下、干からびそうな身体がやっとこさ動く。
    新しい小さな音源をつくりました。2018年8月の宅録です。



    「2018 8」
      1.せ    い
      2.裸の島
      3.い   る
    3曲入り ¥300-
    遠くの方は送ります、sakuraogawa21@gmail.com まで連絡下さい。



    以前の小さな作品がきっかけとなり、1年間 東京の円盤へ通いながら新たなひとつの作品をつくっていました。斉藤友秋さんに曲を練り直してもらい、斉藤さんのギター伴奏はじめ 橋本悠さんのコントラバス、三村京子さんのコーラスなど 様々な人と関わり合い 演奏させてもらいました。
    7月に一旦録音が終わり、京都に帰ってきて 土地と人の可能性について考え また曲をつくりました。


    この1年間の流れは、音楽を介してひとつの太い意志が 形を成していく過程のようでした。小さな個々の人間同士の交わりから生まれる、面白さと必死さを感じながら。自分ひとりのみの可能性と役わりを学びながら。どの土地にいても、音楽をつくりながら暮らす という覚悟をまたした。

    それを経て、インターネットであげていた曲をCD-Rにしてください という要望をいただいたのをきっかけにして。ひとりの生活のなかで 出来るだけ自然に録りました。アコースティックギターと歌、少しのハープをいれて簡素な作品になりました。

    ひとりでまたつくって、少し安堵はしているが 今は円盤とのアルバムを多くの方々に聴いてもらいたい気持ちが強い。が、これが出来たのもこの1年間を過ごしたひとつの結果みたいなものなので、一緒に聴いたらなお面白そう。アルバムが出来上がったらまた報告します。どうぞよろしくお願いします。





    それにしても、隔月でつくる予定でいた宅録作品。
    1年以上もかかっているから やっぱりどれだけペースが遅いかがわかる。
    もう他とは比べないけど。比較をしなくなったのも、納得しながらできている証だったりするかな。

    拍手[0回]

  • 季録




    夏に向かう手前。2曲入り自主音源をつくりました。



    「2017 5と6」

    1.生活の糧
    2.仲    夏


    5月から6月にかけ作曲・自宅にて多重録音しまして、ジャケット内外一通り手作りです!
    300円です。季節の変わり目は情景が心に留まることが多く、これから季録と称しつくり続けていこうかと目論んでおります。





    現在、

    高円寺 円盤 (東京)
    アオツキ書房 (大阪)
    LVDB BOOKS (大阪)
    ・BAR 光と影(大分)

    にて購入可能です。

    小川まで問い合わせしていただければ送ったり直接渡したりします!
    演奏依頼もお待ちしております。遠方でも都合つけて飛んでゆきますので
    ⇒sakuraogawa21@gmail.com


    上記のお店ですが、予想外の出逢い(人であったりモノであったり)と、ああこういうものを自分は求めていたんだなー、という再発見が行けば必ずあるお店だと思うので ぜひぜひ、足を運んでいただきたいです。「探す」ことを楽しみつつ、わたしのもんも手にとってもらえれば。



    -------------------------------------------------------------------------------------


    少ない梅雨期間超え、猛暑の予感をひしひし感じる7月初日、蒸し暑さのこる部屋。
    LVDB BOOKSで購入した山口冨士夫/PRIVATE CASSETTE 聴く。


    2年ほど前、大分の光と影を初めてひとりで訪れたとき。
    カウンター越し、何を話して良いものか とぎこちない距離を感じていたらば 店主の綾子さんが「これ最高やけん。こういう録音をしたい。」と言って店内でこのアルバムをかけてくれる。
    薄暗い小さな店内、重圧のない冨士夫氏の声とその上に重なるギターの質素さにグっと掴まれ、綾子さんへ心が寄っていった夜。その次お店に行ったとき、お礼にというような気持ちで浅川マキのブルー・スピリット・ブルースを持っていった。


    ということを、ひとりの部屋で思い出し 4チャンネルのオープンデッキにミキサーをつなげただけだという簡単なカセットテープ録音。にあの時とは違う角度でふたたびグッときて、心が嬉しそうに泣いております。マネージャーさんによるライナーノーツによれば『部屋の中で音を出している冨士夫を録』ったらしい。
    こんなふうに 誰かの記憶の情景に入り込み、聴いた瞬間それが溢れ出すような作品には頭があがりません。

    事実や事情はなるべく忘れ去られるように出来ているのかもしれないが、記憶は勝手に寄り添うもので、なんというか、物語のようになっていくものなのか。
    それはもはやフィクションだけれど、日常のさなかにいるような、、、とかごちゃごちゃ言っていてもつまらんすな。
    つまりは、もっと良い曲をつくれるようになりたい。できれば質素と雑多の日常生活にさなかで。



    小さな作品ですが、24の女の熱量をすべて注ぎ込んでつくりました。どうぞ宜しくお願いします!













    拍手[0回]