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日々のあと

小川さくら。1992- 別府市育ち、京都在住。生活と活動の記録・情報。

7月のあと・8月のなか
猛暑。へばる。日曜日の灼熱のお昼下がり、だーれも外歩いていないほど。
最近の音楽とその周り。と、演奏予定。

♦︎円盤から、三ツ沢通信 夏号が届いていた。入っている連載物確かめていると、三村さんのポストカード目に止まる。三ツ沢墓地の絵と文章。繰り返し読む。
大崎通信を読んで、「一旦離れる」ことを考える。
時間や体力を有したものごとから離れるの、最初は痕がのこるくらい痛い。離れたあと、くっついていた背を後ろから眺める。全体像が見えること、と「所属していない」という安心感てのがあるんかもしれん。
帰る場所と所属している場所ていうのは全然違う。

♦︎朝、支度しながらラジオでバロック時代のクラシック音楽を聴く、というか流し聞きする。習慣ができて2月くらい。
ある月曜日。オルガン製作家の方がゲストの回があり 、そこで最後に流れたニコラウス・ブルーンス作曲のオルガン演奏。動いている手が止まり、心にやんわりと沁みた。横田さんと名のるその方、「14歳の頃に初めて触れた美しいオルガンの音色を追っている」ようなことを言っていた気がする。
14歳。多感な頃の記憶を、音色が思い出させてくれる。


♦︎久しぶりにレコードを買った。クラシック。
・ベルク/ヴァイオリン協奏曲
ストラヴィンスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ調
イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)
ボストン交響楽団の演奏。
ストラヴィンスキー、はじめの甲高いヴァイオリンの音色が聞こえてきた時 一枚のハガキ/新藤兼人監督 をすぐに思い出した。最後の、乾いた畑を耕す印象的な場面のこと。
そしてベルクの方、初めて聴くはずなのにまたなぜか親しい気持ちになる。なぜかといえば、戦後の日本映画を思い出すから という安易な答えしかない。
ことばじゃなくて、音楽が場面を語ってくれていたんだなぁ、てことがよくわかる。


♦︎倉地久美夫/SOUND OF TURNING EARTH を買った。中に、倉地さんが描いたポストカード大の絵が入っていたので 玄関に飾ってみる。
京都に越してきてから、すぐにまた引っ越すだろうという仮住まいの気持ちが強く 玄関を飾る気が起きなかった。倉地さんの絵は、人生の一編を見ているよう。繊細で柔らかな線と色彩。そこに何が隠れてあるのか 覗き見をするように、見る。今の自分の、小さな生活に徐々に馴染んでくれるだろうか。


♦︎8月のお盆休み、帰省に合わせて演奏を組んでいただいた。大分のアトホールの河村さんに。下の階の78さんにて、ネネカートもご一緒してくれるようです。
9月10月も演奏予定が決まりつつある。つくれる内につくり、歌えるうちに歌っておくのだ。
詳細はこちらで




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