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日々のあと

小川さくら。1992- 別府市育ち、京都在住。生活と活動の記録・情報。

7月のなか
7月18日。ラジオから、梅雨最後の大雨 の知らせ。
灰色の空と、熱がこもった湿った空気。

初めての名古屋。中華料理屋があちこちにある。油でギトギトの看板と換気扇。裏口から聞こえる広東語。

"サウンド喫茶"の看板掲げる店で小倉トースト食べる。天井から吊り下げられたどデカいスピーカーは使われてなく、ジャズのスタンダードぽいBGMが小さい音で流れる。


雨に降られてから、きてみてや入る。畳の上で田口さんがギターを弾いて歌っていた。壁にしきつめられた春一番のポスター。加川良からの新年の挨拶文。高田渡の写真など。


薄暗い照明の中で、YODO 畔柳さんの演奏を聴く。
ご自身の表現を、できる限り適えよう、と探りながらやっているようにみえた。綺麗な旋律が、凹凸の道を慎重に歩いているような。畔柳さんの記憶と音楽との距離感に、とてつもない安心感を覚える。"正直"ってこういうことかな。


自分の演奏でも、わりと気持ちと距離を置いて 演奏に集中できたのは、畔柳さんの演奏が直前にあったのが大きかった。周りに変な気を遣うことも、"上手"を意識することもあまりなく、集中して歌えた。曲の説明があって良いものか、未だにわかっていない。


田口さんから、暖かい話を聞く。
町を歩いていて、妙に気にしてしまう"今後"がある。なくなれば、忘れるの本当に一瞬。建物も人間も記憶も。仕方がないことばかりだが、田口さんの行動に "営む姿勢"は続けられるのだと、教わってばかりいる。そしてまた鏡に映る自分の生活と、次へ繋がる音楽づくり。"今後"を考える材料をもらう。

畔柳さんは、YODOのMemories をつくった期間の話をしてくれた。誰かと音楽を共にする期間。何というか、陳腐な言葉だが やっぱり信頼が反映されるんじゃないか。その期間には心をバシャバシャと何度も洗われ 他人を強く信頼出来たりする。

初対面でありながらイナハタさんのご自宅にお世話になる。至れり尽くせり。早朝に名古屋出て、そのまま仕事向かう。睡眠不足は大敵。

帰りついて YODO/Memories 2年ぶりくらいに聴く。すっと心に水を注がれたような感覚になり、それからまた 曲をつくってみる。そのまま爆睡。




陽が暮れるのと同時、暗がりと同化していく畑。翌朝、時期が来たのか 枯れた作物を見てメソメソしていると すぐに見知らぬ人がきて、新しい需要の種を蒔こうとしている。
他所の畑は、どこまで踏み込んで良いものかわからない。自分の畑を豊作にする術も知らないのに、気にしている暇はないのかもしれないんだが。理想の畑にするために薬を多用したり、改良をしても なぜか虚ろな気分になる。天気に左右され、歪な形に、予想外に育つものなのかな、と。曲づくりもそんな感じ。
で、今回気づいたのは、それは"放っておく"ってわけでなく 作物の声を聞いて、収穫まで地道な手入れを念入りにするということ。誰かに委ねるでなく 自分の身体を使って。
働き生活すること。音楽をすること。の境界線を、少しずつ曖昧にする。両方とも、優劣を前提に置かなければ 出来ないことはないんでないか。他所の畑と自分の畑の境界線も、本当は曖昧だったりするのか。

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